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この銅鉾の発見は、江戸時代の天保12年(1841)と古いものです。
出土地点は現在墓地の東側に銅鉾発見の碑が立っている場所のさらに東側30メートルあたりといわれています。
この資料が学会に注目されたのは古く、「五、菊池郡陣内村の銅鉾」として「熊本県史跡名勝天然記念物調査報告書第2冊」に紹介されています。
銅鉾としては最後の段階の広形の典型的なものです。
長さは85.6センチメートルと大きく、身幅は広くなっていて最大の部分で12センチメートルもあり、断面菱の稜線にあったシノギは形式的に凸線として表現されています。
ヒモをとおす鈕は今は付け根だけで欠けていますが、もとはただ平板に張りだしただけで、もとの穴痕跡として弧線を重ねた文様がみられます。
また、柄をつけるための袋には真土とよばれる鋳物の中受けの土がはいったままで、銅を注ぎこんだところの凹凸も整形されていません。
このことは、この銅鉾では製作当初から柄を付ける意思がまったくなかったことを物語っており、置かれる祭器であることが確実です。
この形式を最後として、日本列島から武器形の青銅祭器は姿を消します。
この資料は長く神社に置かれていましたが、以前に盗難にあったこともあって区長もちまわりの保管となり、その後大津町歴史文化伝承館に保管されています。