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祝屋敷跡

ページID:0024148 更新日:2026年8月13日更新 印刷ページ表示

概要

真木前原の集落の南を流れる矢護川対岸の農地の一角に、「祝(いわん)屋敷」とよばれる場所があります。

「祝いの屋敷」の意味で、太古に祭りが催されたために地名に残ったものでしょうか。

昭和30年(1955)水田の地下げ工事中に、弥生後期と推定される二本の銅戈が出土しました。付近から弥生後期の野部田式土器片(高つき等)が出土しています。

祝屋敷跡

​真木の銅戈

元々、銅戈、銅鉾、銅鐸などの青銅器は、弥生時代に実用品として朝鮮半島から伝わりました。

その中で、銅戈は刃先を木製の柄に直角に取り付け、鎌の様にして使う武器でした。

日本における銅戈は、その形状や使用痕がないことから、戦闘用ではなく祭祀用 であったと推測されています。

当時の祭りは、主に稲の精霊に対蔓る信仰に基づいたもので、クニを守り、富を守り、集団の結束を図る必要があったクニの代表者が、祈りを込めて青銅の祭器を大地の神に捧げた儀式として行われていたと思われます。

銅戈が2本同時に出土する事例が多いのは、この青銅器が祀りの中では2本1対で使われていたからではないかと考えることが出来ます。

この「真木の銅戈」1対は、どちらも長さが30cmほど、幅は4.5cmほどで、両面には2筋の羽状紋が施され紐通しの穴が2つあり、中細形の銅戈とされ、熊本県下で祭器といえる銅戈の中では一番古い物です。

また銅戈が出土した真木地区は菊池から阿蘇へ通じる重要な古代通路にあたっており、そのことからも、この場所で祭りが行われた可能性が考えられます。

現在、この銅戈は貴重な資料として、京都国立博物館に収蔵されています。

真木の銅戈

​前原遺跡(真木)

​縄文時代から鎌倉時代の長い期間にわたり、さまざまな種類の土器、石器、石剣等が発見された遺跡です。

中でも石剣は弥生時代のもので、護川流域ではじめての発見です。

前原遺跡

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