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平安前期に禎快(ていかい)上人が創建した鞍岳馬頭観音・矢護山無動寺(蓮華院)の里寺であると、『肥後国誌』に記されています。
由緒本には、「矢護山無動寺の禎快上人が、桓武天皇の第三皇子の病気の快癒祈願をしたところ、程なく御平癒になったことから、不動明王像一体を与えられ、御願円満なるによって円満寺と号した。寄附された土地を御願所という。」と伝えられています。
また同書には、「坂上田村麻呂が合志郡鞍岳へ下向の際、本堂を成就し、石像の観世音を安置した。」とあり、その石像が現在の本尊であるといわれています。
現在でも、寺には、平安後期と推定される木造十一面観音立像(大津町最古の仏像)や南北朝期の木造不動明王立像(旧無動寺の仏像と伝承あり)などが残されています。
『肥後国誌』によれば、平安期の合志郡東部一帯は、比叡山延暦寺の荘園であったとされ、中央の要人との深い関係を物語るこれらの伝承は、無動寺やこの寺が天台宗比叡山の寺領の中心の一つであったことを示しています。
さらに旧記によれば、加藤清正が熊本城築城の折地鎮の法を行ったのが、ここ円満寺の僧豪智であったとあります。
以来、熊本藩の加藤氏・細川氏は、居城の東北に位置するこの寺を城の安全を祈願する場として保護したといわれ、今でも庫裏の屋根に残る九曜の紋がその歴史を物語っています。
鞍岳を奥の院とするこの寺は、牛馬守護の信仰が厚いところとしても知られています。
3月18日の祭りには、古くは熊本県内外から人馬の参拝があり、境内は多くの人々で身動きがとれないほどであったといいます。