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無田原遺跡は、大津町と旭志村にまたがるところにあり、鞍岳のなだらかな丘陵地に位置し、古代から人々が住んでおり多くの遺跡が残るところです。
昭和8年に郷土史家である出口九州男氏と肥後考古学の基礎を創った坂本経堯氏によって2年続けて発掘調査が行われ、学会では古くから知られている遺跡です。
このとき、坂本氏は数々の石が並べられているのを見て、敷石の住居跡ではないかとの推定を行っていました。
そして、40年後の昭和48年にふたたび調査が行われたとき、押型文土器の時代の配石遺構が発見されました。
約7,000年前の縄文早期から前期のものと思われます。
実際の遺構の分布は数ヘクタールに及ぶものとのことですが、このときは57平方mと狭い範囲での調査しか行われず、それでも5基の円形の配石遺構が発見されています。平均すると1基の大きさは南北1m90cm、南北2mほどです。
配石遺構とは表面の滑らかな河原石などの自然石を、目的をもって配置したり組み合わせたりした遺構のことで、埋葬や祭祀など信仰に関わるものであったと思われます。
昔の人々は石には「霊」が宿ると信じており、これを配列した石はあの世とこの世を分けると考えられていたためとも云われています。
この配石遺構の発掘は注目を集めるところとなり、その重要性が評価されて史跡保存となり、埋戻しの後、見学用の配石遺構が復元されています。