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大願寺

ページID:0024332 更新日:2026年8月13日更新 印刷ページ表示

概要

​肥後の国藩主、加藤清正は、慶長6年(1601)から当地に、宿場町を敷設するに当たり、苦竹の人家を移住させ、また塔ノ迫を西に拡張するため、白川筋からの農民の移住を奨励しましたが、移住民を安堵させる社会的緊急措置として檀那寺を創建するにありと、寺院建立に着手しました。

かくして、慶長16年(1611)釈浄誓により、浄土真宗本願寺派末寺大願寺の開基となりました。

尚、開基浄誓は、山鹿郡長坂の城主星子美濃守の末葉星子義武剃髪し、浄誓と号します。

当山には、慶長16年(1611)12月12日付の本願寺第12世門主、准如上人より大願寺釈浄誓に対する小巻物の免状が現存します。

時は流れ、明治10年(1877)に西郷隆盛を中心にした西南戦争は、熊本県が主戦場になった、日本国内における最後で最大の戦いでした。

薩軍は司令部を塔ノ迫(室町)大願寺におき、東は高尾野から西は鉄砲小路(菊陽町)まで、大津の台地上に守りの陣地を帯状に作りました。そのため、官軍は兵を進めることがなかなかできませんでした。

資料

大願寺 大願寺橋

 

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