この石に鯰を刻んだ絵馬が納められていた年祢神社は、大津の苦竹町(=今の室町)の氏神です。苦竹町は江戸時代の初め、白川から人工の井手(用水路)を引いたときに、井手を守るために人々を移して造った街と伝えられています。年祢神社も、同じころに人々と一緒に遷された、阿蘇系の神社です。
阿蘇の神話の中では、鯰は神として伝えられ、各地にその名残があります。
街並みができて約百年たった宝永2年(1705)、記録によると閏4月2日に阿蘇山付近で地震があり、東側の豊後竹田(現大分県)でも城の石垣が崩れる被害があったそうで、反対側の合志郡でも大きく揺れたと思われます。苦竹町に住んでいた人が地震で井手塘や街並みが壊れないようにと願い、地震の神でもある鯰を刻んで8月になって氏神に納めた絵馬と思われます。石で造られ銘文もある絵馬というものは全国でも珍しく、町内外を問わず大変貴重なものです。
なお、『肥後国誌』では、苦竹町では宝永7年(1710)には帰住が許されたのか、農家の半ばが故地に帰住し、「新村」と呼ばれる集落ができました。現在の新村地区につながる居住地です。つまり絵馬は帰住直前に造られた、当時のほぼ完成された井手筋の苦竹町の雰囲気を現在に残すもので、江戸前期の大津町における、豊後街道(塘町筋)の街並み形成を物語る、歴史的価値の高い資料といえます。
◎形状 直方体:縦4cm、横51cm、厚8cm
◎品質 安山岩
◎銘文(上) 馬 絵 進 寄 奉
(右) 合志郡苦竹町 重助
(左) 寶永二乙酉歳八月上旬

《大津町指定文化財》大津町教育委員会 蔵