
『肥後国誌』によれば、矢護山を中心に旧合志郡東半分は、天台宗の総本山である比叡山延暦寺の寺領でした。無動寺は延暦寺の末寺として平安初期延暦14年(795)に矢護山頂近くに建立されました。「桓武帝の御宇に延暦寺の禎快上人が第3皇子の病気平癒の功として草創を許された。号は天台蓮華院無動寺。」との縁起があります。この寺は本尊に不動明王を祀ったと伝えられています。山岳仏教の聖域として隆盛し、山伏の修行場となりました。安土桃山期天正13年(1585)島津勢の襲来で伽藍一切が焼失してしまいました。現在は堂床の地名だけが残っています。