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合志屋敷

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 大津の歴史時代は、矢護山とその西麓に当たる、ここ真木に発すると言ってもいいでしょう。

 平安初期の官制を記録した『延喜式』には、当時の主要道路である官道が、1説にこの付近を通っていたとされ、その中継基地である駅の1つ「二重駅」が近くに有り、更に同書には、軍馬・駅馬を育成する「二重牧」も1説にこの辺りとされ、地名「真木」はこの牧(まき)に由来するとも伝えられています。

 また『肥後国誌』によれば、矢護山を中心に合志郡東半分は近江比叡山延暦寺の寺領で、矢護山頂近くには天台蓮華院無動寺が建立されたとあります。矢護山一帯は、比叡山を写した山岳仏教として栄えたのでしょうか。

 さて、『肥後国誌』によれば、近江源氏、佐々木四郎長綱は、南北朝の対立に巻き込まれ、叡山座主の計らいで都を下り、大友氏の承認の下、叡山領合志郡の寺領奉行として延元2年(1338)にここ合志郡真木村に来住、合志氏を名乗りましたと伝えられています。『合志川芥』にいう「下り合志」氏です。合志長綱は、ここから1kmほど西に今城を築きました。一族は矢護川の流れに沿って進出しながら力をつけ、戦国期には竹迫の合志城に入り、合志郡全域を支配しました。

 

 ここに祀られている摩利支天(Marici)は、インド神話に起源する仏法の守護神です。陽炎を神格化したもので自ら傷付かないので、武士の守護神とされ、合志一族の守り本尊とされています。島原の乱に出陣した地元の人々を守ったという伝説もあり、今でも地域の崇敬を集めています。

 

 お堂の左側には、矢護山の僧侶の墓やお経の文字を祀った仏塔があります。一帯を「合志屋敷」ともいいます。往古は里からの道はここから矢護山に登る参道になったのでしょう。碑の仏たちは、矢護山の結界を守る境の神としての役割を果たしていたのでしょうか。

 

 

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