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ワクド石遺跡

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ワクド石遺跡出土土偶実測図

ワクド石遺跡出土土偶実測図

「ワクド石遺跡出土土器」

ワクド石遺跡出土土器の画
(肥後上代文化資料集より)

 縄文時代には自然物の採取で生活していて、農耕や牧畜は行われていないとされています。近年、福井県鳥浜貝塚や宇土市の曾畑貝塚で縄文前期の文化層からヒョウタンが出土していて、縄文人によって植物があるていど栽培されていたことがわかってきました。しかし、米や麦などの主食となるような栽培植物の存在は確認されていません。ところが川上コレクションのなかでワクド石遺跡から採取された土器に米のスタンプ(圧痕)が発見されているのです。これは土器を製作する過程で米粒が押しつけられ(あるいは粘土の中に紛れ込んでいたのかもしれない)そのまま焼かれてその痕跡が残っているのです。この土器は縄文晩期前半の最終段階に属するもので、約2,500~2,600年くらい前のものと考えられます。この年代は現在まで知られているコメとしては最も古いものです。これと同時か、やや古いものとして熊本市上ノ原遺跡から発見された米と麦の粒があって、こちらも学界に注目されています。ところが、上ノ原遺跡のものでは住居で人びとが生活をした床面に堆積していた土を水洗いして検出したもので、はたして後の混入でないという確証はなく、当時のものとして認める学者と、やや慎重な学者とに別れています。

 この時期にもし稲作がおこなわれていれば、ワクド石遺跡の立地からみて、とても水田が作れる場所ではありません。上ノ原遺跡についても健軍の台地上に立地していて、これも水田が営める地形ではありません。そうすれば畑地での稲作と考えざるをえません。この現象は民族学者の仮説で、水田稲作の前に焼畑農耕の文化があったのではないかとする考えを裏付けるものともいえます。この黒色研磨土器がつくられた時期に土掘りの道具とみられる扁平打製石斧が多量に出土する現象もこれに即しています。しかし、ワクド石遺跡と上ノ原遺跡の2例ではまだそれが確実というにはやや心細いとことです。

 近年、各地で大規模な発掘調査も実施されており、将来、住居址などから土器に入ったままの焼米が発見されるなど、もっと明確で強い証拠の発見を期待します。

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