ここには、榎の大木が1株聳え立っています。中陣内区の北の水田地帯の中央にあり、四方からもよく見えます。往古に阿蘇大明神廻国の折ここに立てた杖が根付いて榎の大木になった「榎木杖」の伝承(合志川芥)があります。肥後国誌には、中陣内村(現中陣内区)の項に「阿蘇森」として載せられ、弁才天の堂があったとあります。なお同書には、西隣下陣内村(現下陣内区)の項にも村境に「榎杖」があり、ここに初めて杖立の伝承が載せられています。また、陣内志談には、阿蘇大明神をソックリ弘法大師に入れ替えたお話が紹介されています。
ここは阿蘇五岳の真西で、春・秋には阿蘇山上から出る朝日が見える場所です。明治前期の古地図ではここを「遥拝所」と記しており、伝承では鎌倉初期から春(と秋)に朝ここ「榎鶴」で真東の阿蘇山を遥拝し豊作を祈ったとされています。阿蘇大明神と弘法大師という2つの信仰が重なり合っていた歴史が感じられます。
榎鶴の「鶴」には「水流」の意味がありますし、水辺の神「弁財天」が祀られていました。ここには大切な水の流れがあったことが推測されます。また、榎鶴には神木として「動かすな」の禁忌があります。この大木は、阿蘇の真西という位置を後に伝えるために、たとえ枯れても植え替えられてきた大切な目印であったのではないでしょうか。地域の人々の暮らしの歴史を感じさせる樹木です。
近年、災害に遭い北側の幹を失いましたが、再び大きく育つことを祈念しています。