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玉岡城跡

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玉岡城址(児島貞熊『陣内志談』より)

玉岡城跡入り口の写真 玉岡城は別名「若宮城」ともいいます。陣内村大字上陣内字玉岡に在り、その場所を「堂面山」又は「若宮岡」と名づけて若宮八幡社が祀られています。今から430年ほど昔、戦国時代は元亀・天正の年号の頃、合志郡(菊池郡の南側)を支配していた合志家の家来であった稲葉安芸守・因幡守親子は先祖から代々この地域を領地とし、白川の南は益城郡、上流の阿蘇郡との2つの方向の守りの要としてこの山に城砦を築き、普段から多くの兵士を訓練して突然やってくるかもしれない外敵の攻撃に対応できるようにしていました。

 城内はあまり広いとはいえませんが、1000人程の兵士は収容でき、確かに当時の合志郡のなかでは、最強の防衛陣地でした。元々この山は四方の山々から離れて、平地に孤立しており、南側は白川の急流で遮られ、東に六地蔵川が流れる他、東北西の三方は一面の水田にして、城に近づくのに身を隠すようなものはなく、周邊は広々と何でも見えてしまう場所で、その上に東北より西南に至る外側の石垣の下には空堀を掘り廻らして(この堀は江戸の始め肥後藩主加藤忠廣公の下井手の掘り直しの時埋め立てゝ水田にしてしまいましたが)、毎年五月の梅雨の頃には雨水が貯まって水の溜まった堀になったと伝えられています。

玉岡城跡の写真 又、当時の出丸(今は「葉山」と云う場所です)と本城との間には広々とした空堀が南北に長々と横たわり、更に東向きに延長して本丸の中間まで掘り切ってあって、本城と出丸とを区切っていました。その堀の跡は今もあり、林に通じる切通しであったり窪地の畑だったりしてその地形が残っており、誰が見てもこの堀が城の守りのために掘られたのだろうと推測することができます。

 そして城の裏側は低い窪地で、弓矢や鉄砲を避けるのに都合の良い場所でしたので、何か事件(敵の攻撃など)があったときは、すぐに守備隊の家族など近親者たちは皆此の場所に逃込ませました。此の窪地も亦城の守りのために堀り下げたものと云われており、其の他炊事場や馬小屋なども同じ場所に有ったと聞いています。現在、人家が在る北方の田地は、実は其の馬小屋の跡と伝えられています。

 又城外の守りの設備には、西北の方に上の園の砦があって、宇留尾の台地と連動して、西から攻めてくる敵を挟み撃ちできるようにし、東には東山、及び下の山の砦があって本城の守りとし、北には宇留尾の台地が東西に長く横たわって天然の防護壁となっており、三方から同時に敵が攻めても城の側まで近づくことが出来ないようになっています。

 戦国期まで城は、多くは土手塀であると聞いていますが、この城はその土手を削って絶壁となし、其の中腹を凹ませて、以て敵兵がよじ登るのを防いだそうです。従って、当時戦国の頃は難攻不落の防衛拠点で大変立派な城でしたが、それから数百年の年月を重ねる間に、少しずつ開墾されて、其の高さが低くなり、城全体が全部耕作地に変わり、もう昔の城の姿は失われました。僅かに城跡の面影を残した台地となって、過去の姿を追想させるだけになってしまいました。

 ある人の評価によれば、「この城の規模は小さいけれど、自然の守りの地形が全部備わっていた。昔弓や槍で戦をしていた頃ならば、500人の兵士を配置して本城を守り、400人の兵士を周囲の砦に配置して、其の上で司令官の戦略が的確に行われたならば、それを10倍にする1万の兵士で城攻めをしても、簡単には城を占領することは出来ない」と言っていました。

 郷土史家(児島氏)が語るに、私がここに玉岡城址のことを記したものを読んで、中には「過大評価しすぎだ」と評価する人もあるでしょう。わたしも実はそう思うこともあります。しかしながら、この城は中心地を離れた地方の城としてみると、確かに其の水準を上回っていました。試しに見て御覧なさい、玉岡城は田圃の中に高くそびえて、唯一の小さな岡のようにしか見えませんが、人が甲冑を着た場合のように、もしこの城砦全体に防衛の設備をつけたならば、則ち城外にぐるりと巡らされた長堀は、水がいっぱいで青々と輝き、大石を積み重ねた石垣とその上の城の白壁は高くそびえて、断崖絶壁のように周りを圧倒し、何層も重ねられた楼閣は高みに上り、雲を突き抜けるようで、守りは堅い上に立派な姿をして、本当に守りやすく攻めにくい城であることは必ずはっきりわかります。

 昔から合志郡には多くの城があったのですが、どれも長所も短所もあって完全なものはありませんでした。今では戦争の方法も変化し、そのために防衛陣地を作るやり方も大いに違うのですが、4百年前の戦国時代においては、この城についてみると当時の防衛陣地の条件はみな当てはまっており、「素晴らしいぞ、合志郡の中では並ぶもののない名城ですよ」と褒め称えることも、決して恥ずかしいことではないでしょう。おおげさではないかなと思う人がいたらば、試しに合志郡の中の幾つかの城を取り上げて比較して御覧なさい、そうしたらそれらの城が玉岡城の完全さに到底及ばないことがよくわかるでしょう。もしこの城を人がたくさんいる日本の中心の、いわば歴史の表舞台に置いたならば、玉岡城の立派な名前がキラキラと遠い後世まで輝き残るでしょう。私は、この城が築かれた場所が中心地から遠く離れた鄙びた処であることを、残念に思います。

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