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御所原・下猿渡六地蔵

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御所原・下猿渡六地蔵(重制石幢)〔町指定建造物〕

御所原・下猿渡六地蔵の写真 六地蔵の浮彫

 

六地蔵の刻文」

 峠川に沿って杉水から平川に上る道沿いに建つ六角の地蔵塔、住民の暮しを守る拠所(よりどころ)として、大きな六角柱の地蔵塔が安置されています。六角柱石正面の刻文には、「昔この地に六地蔵が建っていたが、中古(かなり昔)にはなくなってしまったので、安永3年(1774)平川の庄屋である宇野源兵衛が再建した」とあります。

 六角柱でそのそれぞれの面に1体づづ地蔵像を刻むという形の地蔵塔を、「石幢(せきどう)」といいます。六地蔵を祀る古い型式で、中国北部にあった遼(りょう)という国で10~12世紀(日本の平安期)頃に流行した仏塔の1種が、鎌倉期(13~14世紀)に日本に伝わったもの。6体の地蔵がそれぞれ6つの方向にある六道(6つの世界:天道・人間道・畜生道・餓鬼道・修羅道・地獄道)を見守っている姿です。この石幢には、六角柱(幢身)の上に、それぞれ六角を基本とする中台(台座)、龕部(6側面がそれぞれ1体のお地蔵さんの部屋)、その上に六角の笠(屋根)と宝珠が重なっている重制(じゅうせい)と、6つの側面にお地蔵さんが1体ずつ刻まれている一体の六角柱(幢身)に六角の笠だけ載った単制(たんせい)、という2種の型式があり、ここの石幢は重制です。

2種の石幢の説明


 同じ形式の地蔵塔としては、白川の北岸を熊本へつながる久保田往還(大津町内では陣内往還ともいう)沿いの菊陽町津久礼にある「下津久礼六地蔵(菊陽町指定文化財)」が有名です。町内では同じ陣内往還沿いで、森地区と上陣内地区の境に「上陣内石幢」があり、ここは下側の幢身だけが残されています。ともに、室町時代の建造物で、津久礼の六地蔵は熊本の中心部から3里、陣内の石幢は同じく5里の位置にあり、里程標として使われていたようです。
 御所原と猿渡の辺りも熊本から5里の距離、ここ御所原と猿渡の境に立つ地蔵塔も里程標、境の道標(みちしるべ)となっていたと思われます。特にここは、東の阿蘇、西の合志、それから南に山を越えれば大津につながる三差路になっていました。また一説に、鎮座の場所も、以前は御所原にあったり猿渡にあったりしていましたが、火事が絶えないことから、2つの集落の中間に置かれたともいわれています。

 また、江戸期の大津には藩の年貢米を納める「御倉」の1つがありましたが、一説に、阿蘇北郷(現在の阿蘇郡小国町・南小国町・阿蘇市・産山村)のお米は、二重峠を越えてここ平川の三差路から大津へ運ばれたといわれています。

 幢身下側に「もち方(管理者)、猿渡・御所原・馬場」と刻まれてありますが、上・下猿渡区・御所原区の3地区の輪番で、現在までずっとお祀りしてきました。ところが、平成28年(2016)熊本地震で被災したので、町補助を受けて石幢を修復しました。町指定建造物。 

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