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上井手・塘町筋

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上井手・堀川

上井手の取り入れ口の写真
上井手の取り入れ口
(内牧橋上流300メートル)
光尊橋と上井手の写真
光尊橋と上井手

 天正16年(1588)夏、肥後北半の支配を任された加藤清正が、阿蘇から肥後に入国するにあたり、二重峠から白川北岸に広がる広大な大津の茅原を眺めて、さてどうしたものかと考えました。道案内の西暁坊という僧が「あの草野に水を白川より分流して灌漑するには、瀬田の比丘尼谷の出口に取水口を作り、大津まで導くと、水が行き渡ると思います」と建策したことから、その開削が計画されたと伝えられています。

 全長は約24km、大津町瀬田「鍋倉の瀬」の取水口から大林、森、引水を通って、合志台地坂下の大津の中心部を縦貫、菊陽町古閑原から鉄砲小路の北側で「堀川」と名を変え、合志町豊岡、西合志町須屋を経て、熊本市飛田で坪井川に合流する用水路です。各地に井樋(分水口)が施されて分水路が南流し、白川北岸の農地を潤しています。

 また、大津地域の開削で南側土手を護岸する必要から、苦竹村(今の新村)などの住民の住居を移し、豊後往還をその土手に通して街並み「塘町筋」が作られました。今に至る宿場町大津の中心です。

 江戸の後期に大津手永の惣庄屋(今の町長に相当)となった山隈権兵衛の手によって、「丹防の吐」等、沿線数箇所の改修が行われ、安定した利用ができるようになり、豊後往還と上井手の交差する大津宿は、交通の要衝としてさらに発展していきました。

 江戸期以降は何度か災害に見舞われましたが、地域の人々の懸命の努力で復旧し、現在も地域の要として活躍しています。

※ 灌漑…………農作物を育てるために、田畑に水を引く
 ※ 丹防の吐……引水にある、東山川を流すための分水門

塘町筋

塘町筋の写真 寛永の頃に熊本藩主細川忠利公により堀川(瀬田上井手)の開削工事が再開された際、工事の廃土により築かれた川塘の上に建てられた町並みが塘町筋です。

 ここは、豊後街道に面しており、宿場形成のために一部白川筋の住民を移住させるなど、当時政策的に作られた町です。

 旅籠・商家などが軒を連ねて宿駅大津の中心地となった。堀川の北側に並ぶ光尊寺・年彌神社・大願寺は何れも新住民の定着を願って建立されたものです。また、堀川には、上流から

地蔵橋(大林出分) 〔文政11年(1828)〕

光尊寺橋〔文化12年(1815)〕

松古閑橋〔安永 8年(1779)〕

大願寺橋〔江戸中期〕

井手上橋(塔の迫橋)〔文化14年(1817)〕

の5基の石造眼鏡橋があり、このうち下流の4基がこの町筋にあります。さらに、西南戦争の弾痕の残る大願寺山門や芭蕉百年忌に建立された芭蕉句碑など、往時をしのばせる史跡が多く、ここは歴史の香りのする町並みとなっています。

 「蔦のいる花の賤やとよあかさむ はせを」  「芭蕉句碑」より

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