ここは、東に行けば大津町の杉水・平川を経由して阿蘇・大分へ通じ、西に行けば合志市の竹迫を経て植木・玉名に通じ、北へ行けば旧旭志村の川辺に接して、旭志・菊池・日田に通じ、南は菊陽町原水のセミコンテクノパークを経由して菊陽津久礼の街中を経由して空港方面に通じている、古くからの道が交わる十字路です。しかも現在でも、近くには菊池市旭志の川辺工業団地があって、新しい多くの工場が立地しています。物資の流通には、便利な場所です。
そこに「百騎帰」という、いかにも古めかしい地名が付いているのはなぜでしょうか。この地名は、大津町平川にある淀姫神社の縁起に登場する地名です。それによると、肥前河上(現佐賀市大和町川上付近)で美女「玉かづら」を誘拐し連行した盗賊を、どこからともなく出現した100騎の正体不明の武士たちが、あきらめずに追いかけ、ついにここで「玉かづら」を救出、その途端にこの場所で行方も知らず消えたと伝えられています。この不思議な伝承から、その消えた100騎の武士たちにちなんでつけられた地名が「百騎帰」と伝えられています。地元では、「ひゃっきぎゃーり」というそうです。
現在でも、ここは大津町と合志市、菊池市旭志の境で、菊陽町にも近いという、四方に繋がる交差点、文字通り境の場として、特定の勢力の支配が及ばない不思議な空間として地域の伝承の中に育まれた地名です。さて、彼ら伝説の「百騎」は、一体何者だったのでしょうか。