国指定建造物の江藤家住宅(非公開)を眺めて、そのまま西に進むと窪田阿蘇神社にたどり着く、この神社は、戦国時代に勧進されその後今の地に遷宮された。
そのため3kmほど先にある古宮に10年一回遷宮する「御幸」の祭礼が行われる。
この祭は、地元各地区から人を出して、奴っこ行列の後ご神体の列と稚児行列が続く総勢400人の遷宮が行われる。
神社の近くに「天神森の椋」がある。樹齢は6~700年。
根回り10.2メートル、樹囲7.75メートル高さ15メートル余。
400メートルほど西に窪田日吉神社には、銀杏の大木がある。
この木は、垂乳根が何本も伸び、この木に触ると妊婦の乳の出が良くなると言われている。
奇しくもこの地に生を受け、東京に出て大相撲の横綱になった人物がいます。
その名は、第11代横綱不知火光右衛門(2代目不知火光右衛門。
初代は第9代横綱で宇土の出)である。
江戸時代末期大坂に出て初代の不知火部屋に弟子入り、後に江戸大相撲でも活躍、精進して第11代横綱を授与される。
墓は、大阪の遊行寺と分骨して陣内の2ヶ所にある。
現在その墓は、顕彰会の人たちの手で管理され、脇に不知火光右衛門のブロンズ像が建立されている。 |