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旭志村との境に近い鞍岳山麓の大字矢護川字無田山に存在する遺跡で、二鹿来川と矢護川にはさまれた台地上に立地しています。昭和8年ごろ出口九州男氏によって発見され、次の年に坂本經堯氏によって発掘され、学界に古くから知られている遺跡です。坂本氏の調査では石が多く集まった状態が確認され、敷石住居跡ではないかと推定されていました。ところがそれから40年後、遺跡一帯が茶畑となることになり、ふたたび坂本氏を中心として発掘調査が行われ、押型文土器の時代の配石遺構が群集して検出されました。この遺構は坂本氏の努力及び町・県当局の配慮と地主永田貞夫氏の厚意により、現地にそのまま保存され県指定の史跡となりました。現在は埋めもどした上に見学用の配石遺構が復元されています。
昭和48年に発掘した面積は約57平方メートルと狭いもので、このほかに分布状態を調査するために幅50センチメートルの試堀構を延べ141メートルにわたって掘ってみました。その結果、発掘区内において10基の配石遺構があり、試堀構では24基分の石のまとまりを確認しています。遺構の分布は数haの広い面積に及ぶらしいのですが、その全面に存在するのではなく、いくつかのグループまたは帯状になっている可能性が考えられます。調査では、発掘区内で露出したものの内で1号~5号遺構を平面実測したのみで、配石遺構の下部がどのようになっているのかは未確認のままです。
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