![]() |
![]() |
片俣は中世のころは太宰府天満宮の荘園で、灯油を納めていたと伝えられています。ムラの西はずれの下田に荘園神といって天神を祀ってあります。合志25天神の1番にあたる神で、厚い信仰を受けてきました。明治時代に現在地に遷宮、大正期までの祭りには岩坂の人形芝居も招いて賑わったといいます。
宮座は3組に分かれていて、神田があったころは交代で耕作していました。昔は祭り前にはどぶろくを造り込むのも大変だったといいます。24日には座祭りで男だけで料理をして次の受け前組を招いてご馳走をし、大すり鉢で酒を飲んで節頭渡をしていました。25日が祭り当日で神社での神事があり、ここでくじによって次の座元が決まり、その座元は御幣を受けて帰ります。26日は「板敷きばりゃ(払い)」とか「桶渡し」といって、座祭りのあとで新座元の家まで列をつくって行きました。神田の田植え道具や幟の入った長持ち、神田の籾種俵、酒造りの桶、それに送り酒1升を担いで太鼓を叩きながら行きますが、牛も一緒だったといいます。その途中で道に張り出した生垣などがあれば、わざわざ回り道をしてでも、その生垣を倒したりしたといいます。
新座元では御幣と道具などを受け取って、迎え酒で接待をします。座が盛り上がると、引いてきた牛を座敷に上げて、牛が糞をすればウン(運)がいいなどといったそうです。明治のころにはこれが問題になり、ショウケで牛の頭を作って変装して、三味線、太鼓に合わせて踊ったこともあったそうです。現在の祭りは総代が世話をして子どもたちに習字と絵を書かせて、25日にはこれを拝殿に張って奉納します。祭りの準備は次の受け前組が行い、神事のあとの拝殿で新旧の座元が大すり鉢で節頭渡しをし、飲み干したすり鉢を頭上でかぶる儀式を行います。そのあとが直会の飲み会となります。終わって神田の籾種1斗袋を座元に渡します。1月と12月の25日は女性たちが神社におこもりをします。
| お問い合わせ |
|---|
|