白川北岸を潤す用水路の堰です。上流に上井手、下流に下井手の取入口があります。
この内、下井手は奈良初期(和銅年間)肥後国司阿部乙名が開削したと伝えられますが、埋没して遺跡化したといわれています。それを加藤清正が天正17年(1579)改修に着手し、慶長3年(1598)竣工、さらにその子忠広が元和中に補修し完成しました。
上井手は、加藤清正が構想し、忠広が元和4年(1618)に着手し、寛永9年(1632) 引水まで開削して中断されました。加藤氏改易後に入国した細川忠利は、引続き寛永13年(1636)に工事を再開、綱利の代に坪井川まで完工しました。堰口はともに清正秘伝の「銚子口」と伝えられています。
上井手の堰は洪水にしばしば流失し、文政11年(1828)には堰を少し下流に移設しましたが、安政期に大津手永惣庄屋山隈権兵衛が各所に改修を施す時により元の位置に戻され、現在に至っています。明治33年と昭和28年に未曽有の大洪水で破壊され、昭和32年現在の取水口が完成しました。
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