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山伏塚

山伏塚の写真 戦国時代は全国各地で、人々が自分たちの生活を守る戦いをしていた時代でした。その中で、九州では大きな力を持った三つの大名が自分の領地を広めていきました。一つは豊後(大分県)の大友氏、次に肥前(佐賀県)にいた龍造寺氏、最後に薩摩(鹿児島県)を治めていた島津氏です。

 合志氏は、まず地理的に近い大友氏の影響を受けました。以前から熊本を支配しようと考えていた大友氏は、天文20(1551)年、阿蘇二重の峠から合志郡に侵入してきました。合志氏は、東嶽城主大津氏を先頭に、大津東原において戦いましたが敗れ、大友氏の家来になる約束をしました。やがて天正6(1578)年に西から龍造寺氏が熊本に攻め込んできたので、合志氏は大友氏のために、これを防ぎました。ところが同じ年、大友氏が耳川(宮崎県内)で島津氏に敗れたため、龍造氏がスキを見て再び攻め込んできて、合志氏を家来にしてしまいました。この後、合志氏は、三つの大大名の間で生き延びようと大変苦労しました。

 さて、九州を一人占めしようと考えた島津氏は、天正13年(1585)年、南側から攻めてきました。大津氏など合志全員は、一生懸命たたかいましたが、わずか1日で竹城はやけ、当主は捕りょとなり、多くの者が殺されました。大津高校の校庭にある「山伏塚」は、この戦いで死んだ人々の墓であるといわれています。

おおづ-いま・むかし-(発行:大津町教育委員会)から抜粋

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