豊後街道のうち、菊池郡大津町から阿蘇郡阿蘇町二重峠までの道。加藤清正にちなんでこの名がある。大津町から北へ、上大津を経て東、阿蘇外輪山のすそ野、高尾野、新小屋などの集落を通り、くぼ地の多い坂道を約 14キロメートル上り、二重峠に達する。道の両側に茂っていた杉並木は、明治初年に伐採された。明治17年(1884)比丘尼谷の難工事により立野火口瀬を抜け熊本から阿蘇に至る新道が開通して以来、この道の交通上の重要性は薄れた(熊本県大百科事典)。
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江戸後期の寛政4年に大津を訪れた国学者、高山彦九郎は道中日記を残し、二重峠から大津に入る付近の豊後街道について、「道はきりさけたるものにて、左右之堤高き所に至りては1丈余(3メートル)あり。(中央は)切りさげし道にて水さがり悪きを計り、道之中高く、左右に溝を掘りたり。」と述べています。(『熊本県歴史の道調査―豊後街道―』熊本県文化財調査報告・第54集、昭和57年3月)
当時の街道筋で高山彦九郎の言う情景を捜してみると、片側一車線の舗装路となってはいますが、その両側に高さ3メートルの土手道が通っている高尾野付近にその面影が感じられます。
豊後街道のうち、菊池郡大津町から阿蘇郡阿蘇町二重峠までの道。加藤清正にちなんでこの名がある。大津町から北へ、上大津を経て東、阿蘇外輪山のすそ野、高尾野、新小屋などの集落を通り、くぼ地の多い坂道を約 14キロメートル上り、二重峠に達する。道の両側に茂っていた杉並木は、明治初年に伐採された。明治17年(1884)比丘尼谷の難工事により立野火口瀬を抜け熊本から阿蘇に至る新道が開通して以来、この道の交通上の重要性は薄れた(熊本県大百科事典)。
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江戸後期の寛政4年に大津を訪れた国学者、高山彦九郎は道中日記を残し、二重峠から大津に入る付近の豊後街道について、「道はきりさけたるものにて、左右之堤高き所に至りては1丈余(3メートル)あり。(中央は)切りさげし道にて水さがり悪きを計り、道之中高く、左右に溝を掘りたり。」と述べています。(『熊本県歴史の道調査―豊後街道―』熊本県文化財調査報告・第54集、昭和57年3月)
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