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歴史の散歩道

ページID:0002782 更新日:2023年12月5日更新 印刷ページ表示

歴史の散歩道1

町内上井手筋 大願寺~日吉神社・大津御倉跡(石橋・参勤道)

内容

 江戸時代からの名刹の円通庵、西南の役のとき薩軍の指令部が置かれた大願寺(石橋)、光尊寺(石橋)、を眺めながら鶴口橋までくると、かつて高札を立てた場所であり、地蔵祭の起源となったお地蔵さまが安置されている。

 そのまま北に向えば、かつて細川藩の5大米倉の一つ大津御倉跡がある。今は昔を偲ぶものはなく、記念碑だけがある。

 もう少し進んで日吉神社の参道を登れば北に本殿、南に斜面いっぱいのつつじ園がる。ここは、昭和3年に植樹されたつつじが始まりとされ、つつじの季節には一面白とピンクの大輪の花が咲く。日吉神社の本殿の周りは深い森になっていて休憩するにはもってこいの場所である。

(所要時間30分~1時間程度)

大願寺の石橋の画像
大願寺の石橋

光尊寺の石橋の画像
光尊寺の石橋

日吉神社本殿の画像
日吉神社本殿

日吉神社のつつじ園の画像
日吉神社のつつじ園

歴史の散歩道2

北部 無田原遺跡~円満寺・矢護川公園・初生神社~諏訪水源

内容

 無田原遺跡は、縄文早期(約7000年前)の遺構。
周辺にはサークルストーンもある。

 矢護川地区には牛馬の守り寺として名高い円満寺がある。
鞍岳の馬頭観音・弥護山無動寺の里寺。
毎月18日と28日は縁日。特に3月18日は近隣の農家が、集まって家畜の安全祈願で賑わいを見せる。

 円満寺の南に中窪田神社(初生神社)がある。
昔は神石という石があり、乳の出の悪い婦人たちが石をなでてお祈りをした。

 御願所の東方の諏訪山の山中に矢護川の水神 諏訪神社があり、少し南へくだると名水の諏訪水源がある。

無田原遺跡のスト-ンサ-クルの画像
無田原遺跡のスト-ンサ-クル

円満寺の画像
円満寺

初生神社の湧水池の画像
初生神社の湧水池

諏訪神社の画像
諏訪神社

歴史の散歩道3

南部 江藤家住宅~窪田阿蘇神社・天神森の椋~第11代不知火光右衛門の立像

内容

 国指定建造物の江藤家住宅(非公開)を眺めて、そのまま西に進むと窪田阿蘇神社にたどり着く、この神社は、戦国時代に勧進されその後今の地に遷宮された。
そのため3kmほど先にある古宮に10年一回遷宮する「御幸」の祭礼が行われる。
この祭は、地元各地区から人を出して、奴っこ行列の後ご神体の列と稚児行列が続く総勢400人の遷宮が行われる。

 神社の近くに「天神森の椋」がある。樹齢は6~700年。
根回り10.2メートル、樹囲7.75メートル高さ15メートル余。
400メートルほど西に窪田日吉神社には、銀杏の大木がある。
この木は、垂乳根が何本も伸び、この木に触ると妊婦の乳の出が良くなると言われている。
奇しくもこの地に生を受け、東京に出て大相撲の横綱になった人物がいます。

 その名は、第11代横綱不知火光右衛門(2代目不知火光右衛門。
初代は第9代横綱で宇土の出)である。
江戸時代末期大坂に出て初代の不知火部屋に弟子入り、後に江戸大相撲でも活躍、精進して第11代横綱を授与される。

 墓は、大阪の遊行寺と分骨して陣内の2ヶ所にある。
現在その墓は、顕彰会の人たちの手で管理され、脇に不知火光右衛門のブロンズ像が建立されている。

江藤屋敷の画像
江藤屋敷

窪田阿蘇神社の画像
窪田阿蘇神社

天神森の椋の画像
天神森の椋

横綱不知火光右衛門の画像
横綱不知火光右衛門

窪田日吉神社の画像
窪田日吉神社

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