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堀川漕運の説論

ページID:0001378 更新日:2023年12月5日更新 印刷ページ表示

上井手・堀川の年貢米舟運びの説について

 平成30年度に上井手・堀川を含んだ『白川流域灌漑用水群』が世界灌漑施設遺産に認定されました。県内では、山都町の通潤用水、球磨郡の幸野溝•百太郎溝、菊池の灌漑用水群と、他に3つの潅漑遺産が相次いで認定され、合わせて熊本県の4つの世界的な遺産として認定されたことは、大変喜ばしいことと考えます。
 同時に、私たちには、この施設に関して一方では大きな課題が出来ました。というのは、上井手・堀川がこのような形で世界から認められたからは、この歴史的な施設については、これを機にその役割と評価を正しく、子どもたちに教えていかなければならないと考えているからです。
 さて、この上井手・堀川には、「上大津の御倉に集められた年貢米などは、ここで上井手より坪井川経由でお城まで運ばれ、大津は水運の基地になりました」という伝承があります。この伝承は昭和63年(1988)に発刊された『大津町史』の記事に基づいているものです。
 ところが、その後大津町に残された地方文書である『斎藤家文書』の解読が進む中で、幕末は元治2年(1865)の段階で「大津から上井手・堀川を用いての年貢米の舟運びは(一度試してみたけど)出来なかった、それ以後していない」と、大津手永が藩に報告した文書『覚』が見つかりました。これによれば、大津から上井手・堀川を年貢米運びに用いたということは、江戸時代を通じて実際には無かったということになります。
 『大津町史』はもちろん『斎藤家文書』などの古文書・古記録の記述に基づいて書かれた信頼できる書物です。しかし、発刊当時に『斎藤家文書』がすべて解読されていたわけでなく、上記の『覚』については、その存在が知られていなかったので、「舟運びの説」が採用されたと考えます。それが、その後の文化財人材の方々の地道な研究によって、『町史』にもこのような誤りがあることを認識することが出来たわけです。
 そこで、今回の世界遺産の認定を契機に、上井手・堀川の歴史的な姿を正しく次の世代に伝えるため、歴史的には「大津から上井手・堀川を用いて年貢米を舟で運ぶことは無かった」とお知らせします。
 つきましては、私たちは、各種の上井手・堀川に関する広報のうち可能なものは、その方向で修正することにいたします。と同時に、町民の皆様及び諸機関におかれては、「大津から上井手・堀川で年貢米の舟運びをした」という記事は、削除の方向で各種の広報記事を修正していただくことをお願いするとともに、町外の関係各位にも同様にお伝え願いたいと思います。

問合せ:生涯学習課(伝承館)
2020年3月

元治2年上井手の覚(原・訳)[PDFファイル/1.28MB]

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